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バゲット(トラディション)とバゲット・ヴィエノワーズ、その起源と変遷

何千年もの昔から、パンは大切な食料であり、特にここ数百年、私たちの生活に欠かせないものとなりました。
フランス人は毎年、100億本のバゲットを消費すると言われています。日本でもパンは人気があり、いまやお米よりパンの消費量が多いくらいです。

そもそも、バゲットはどのように生まれたのでしょう?

18世紀末から19世紀初頭にかけての様々な技術革新により、パン作りの技術も変化しました。ルイ・パスツールによって酵母菌(イースト)が発見され、工業生産が可能になります。木製のミキサーが開発され、さらにビール酵母が導入されると、ポーリッシュ法と呼ばれる発酵技術が生まれ、より口当たりの軽いパンが作られるようになります。

1830年に、オーギュスト・ザングというオーストリアの学生が、自国のパンをパリに持ち込みます。それは、ビール酵母と、石臼ではなくローラーで挽いたハンガリー産の強力粉で作られた、中身の白いふんわりしたパンでした。それをスチームオーブンで焼くことにより皮が生まれたのです。 バゲット・ヴィエノワーズと名づけられたそのパンは、またたく間にパリの裕福な市民の間で人気になりました。

当時普通に売られていたミッシュと呼ばれる素朴なパンと違って、見かけもクープもエレガントなたたずまい。1世紀以上にわたって、バゲット・ヴィエノワーズは、パリで人気を博します。

だんだん、パン職人たちは高価な強力粉を使う白い内相にこだわらなくなり、バゲット・ヴィエノワーズは、今日見られるようなブリオッシュのような淡い黄色になりました。つやつやの皮は、朝食やおやつにふさわしく、美味しい中身をゆっくり味わいたいですね。

時代と共にバゲット・ヴィエノワーズは変化し、いわゆる創作パンとして税金をまぬがれるようになります。人々の食習慣も変わります。法律も変革するのです。
1920年ごろは、朝4時前の労働は禁じられていました。バゲットのような長い形は、発酵も焼成も時間が短くて済み、時間のかかる丸いミッシュと比べ、ベーシックなパンとなっていきます。その長いパンがフランス中に広まり、労働者のパンだった白いバゲットが普通に売られるようになります。

時が流れ、バゲットも時代と共に次のステージを迎えます。工場生産の中身が白いバゲットから、栄養価の高い小麦粉をへの回帰という流れに。1993年に、パンに関する法律が発令されました。それには、パン職人の仕事を守るため「パン・ド・ドラディション・フランセーズの定義」が明確になります。1995年には次の政令が制り、ブーランジェの定義が記されています。

今日、バゲット・トラディションと呼ばれるパンは、厳密な製法に従い、品質とノウハウを守っています。

フランスのパン屋さんでは、おいしそうなバゲット・ヴィエノワーズと手作りのバゲット・トラディションが並んで売られていることがよくあります。これぞパン職人の腕の見せどころ。長い歴史と伝統が生んだ結果でもあるのです。

フィルタ

インタビュー:東京校卒業生 中野 賢太

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大学在学時、料理人の道を模索していた中野さんは「料理をやるにもお菓子の知識は必要」とル・コルドン・ブルーの菓子講座を受講。習ったのは、「ガトー・モカ」や「モンモランシー」などクラシックなフランス菓子の数々でした。

フランス人の郷愁を誘う香ばしさ—— きな粉

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豆腐や豆乳、味噌そして「きな粉」も、もともとは大豆。大豆を煎って粉末状にしたのが「きな粉」。たんぱく質や植物繊維を豊富に含むことから、注目を集めているヘルシーな食材のひとつ。その「きな粉」にシェフが初めて出合ったのは、7年前のことだ。

ジャパニーズスイーツの要、餡

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これぞジャパニーズハーブ、しそという食材。

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「私が“しそ”と出合ったのは、もちろん日本に来てからです。フランスにはない食材ですから」 2000年に来日し、日本での生活も15年目を迎えたドミニクシェフ。しそとは日本食を通じて出合ったという。 「珍しくもあり、初めて味わった時からとても好感の持てる香りでした。」

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