インタビュー: パリ校卒業生 市田裕司
軽井沢の豊かな緑の中に佇む、開放感あふれる瀟洒な建物。店内に入れば、ショーケースには宝石のように美しいケーキや総菜、パンが並び、訪れる人の歓声を誘います。
2012年8月29日はル・コルドン・ブルー会長のアンドレ・J・コアントロにとって忘れられない日となりました。
パリの日本国大使館公邸"プレ・ウィル館"に隣接する18世紀建造のアンテラリエ・ユニオンクラブで、兵庫県知事の井戸敏三氏より兵庫県功労者として表彰され、「世界企業のトップとして兵庫県の産業振興に対し助言を行うとともに、平成16年から兵庫県内でフランス料理・菓子の教育機関を運営し、地域の国際化に大きく貢献した」として文化賞を受賞したのです。
「アプリティ・セサモ」ではル・コルドン・ブルーのシェフ講師たちにより、日本で初めて料理・菓子の授業が披露されました。
この美しい冒険は、後に起こった阪神・淡路大震災によって中断を余儀なくされてしまいます。「想像を超える規模の被害に心が痛みました。しかし同時にフランス国民が驚いたのは、神戸がこの悲劇的な震災の後、いかに短期間で復旧し立ち直ったかということです。」とコアントロは当時を思い出し語りました。
大震災から9年後の2004年、センスのよいカフェやブティックが点在する神戸市元町の旧居留地に、神戸校は開校しました。その後「日本の中の小さなフランス」と親しみをもって呼ばれるようになります。
もともと重要な貿易港として中国大陸や近隣の港と交流が盛んだった神戸は、鎖国時代を経て明治元年(1868年)の開港時に、いち早く外国船を受け入れました。外国人居留区が生まれ、町の発展とともに、洋菓子、パン、中国料理、西洋料理が全国に広まっていったのです。
また、主にアメリカ航路の発着点だった横浜に対し、神戸はヨーロッパ諸国を結ぶ港だったため、洋菓子文化が根付きやすかったとも。 大正12(1923)年にゴンチャロフ、大正15(1926)年にモロゾフがそれぞれ神戸で チョコレート製造をはじめたのは有名で、日本の洋菓子史に大きな足跡を残しています。
ル・コルドン・ブルーが伝えるフランス料理文化は、"アール・ド・ヴィーヴル(生活芸術)"として神戸の人々に歓迎されました。西日本の拠点として神戸を選んだのには、そんな神戸の風土があったからこそ。
現在、世界中に拠点を持つル・コルドン・ブルーの基礎を築いた国は日本だとアンドレ・J・コアントロは言います。
ル・コルドン・ブルーのグローバルな発展は、神戸校と兵庫県のような地域とのつながりなしには成立し得ない。フランス料理文化を中心とした相互の交流、地域との結びつきは、今後ますます重要な要素になっていくでしょう。
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